サッカーの背番号「10」はなぜエースナンバーになったのか!

  • 2020/10/13 更新

サッカーの背番号「10」はなぜエースナンバーになったのか!

サッカー選手のユニフォームには色々な番号が付けられています!
1桁から10番台、30番台や40番台の背番号もあります!

その中で特別な背番号があります!
それが『10番』です!
それほどサッカーに詳しくない方でも、背番号10をつけた選手がそのチームのエースであることはご存知でしょう。

FCバルセロナのメッシ、パリサンジェルマンのネイマールなど、
世界的な名選手が所属クラブや代表チームで10番をつけています。

ではなぜサッカーでは、背番号10がエースナンバーなのでしょうか!
今回はサッカーにおける特別な背番号10についてまとめました!

サッカーにおける背番号の始まり

サッカーはイングランドで生まれたスポーツと言われています。
19世紀から20世紀初頭までは背番号はありませんでした。
1920年代になり、イングランドのリーグで初めて背番号がついたユニフォームで試合をするようになりました!
最初はピッチに立つ11人に1~11の背番号が割り振られました。

ゴールキーパーが1番、ディフェンダー、ミッドフィルダー、フォワードと攻撃的なポジションになるほど背番号が上がっていきました。
守りの選手が2番や3番をつけ、攻撃の選手が10番や11番をつけました。

しかしそのころは、10番が特別な番号、エースナンバーという意識は選手や観客にもありませんでした。
ではいつから背番号10がエースナンバーとなったのでしょう!

背番号10を特別な背番号にしたのはブラジルのあの選手

黒い真珠、キング、そしてサッカーの神様とも言われる、『ペレ』が背番号10を特別な存在にしました!
1958年にスウェーデンで開催されたサッカーの祭典、FIFAワールドカップにペレが出場したことで「No.10」の歴史が始まりました。
当時弱冠17歳という若さでブラジル代表に選ばれたペレ。
スターティングメンバーではなく控えのメンバーとしてワールドカップのメンバーリストに登録されていました。
その時にペレが付けていた背番号が「10番」でした。
この時にペレが「10番」を付けていたのは、たまたま監督が抽選で割り振った番号が「10番」だったからという偶然なのです。
もしこの時、ペレが違う番号を付けていたら今頃「10番」ではない番号がエースナンバーになていたのかもしれませんね。
ペレは17歳で出場したスウェーデン大会で「10番」を背負い、
ワールドカップでの最年少得点記録、最年少ハットトリック(1試合で1人の選手が3得点を挙げること)を記録するなど、
様々な記録を残し通算6得点を挙げ、大活躍の末見事チームを優勝に導きました。
その後もブラジル代表や所属していたクラブチームのサントスで「10番」を背負いながら長きに渡って活躍を続けたペレ。
ブラジル代表のエースとしてスウェーデン大会を含むFIFAワールドカップで3度もの優勝に導きました。
現役期間の22年間で代表チーム、クラブチーム通算で1363試合に出場し、1281得点を記録しました。
数々の記録を作り、目を疑うような実績を残してきたペレ。
いつしか10番は世界中のサッカープレイヤーにとって憧れの背番号となったのです。

背番号10を背負った名選手たち

ペレの活躍によってエースナンバーになった10番は、その後多くの世界的名選手がつけました!

ブラジル代表

ジーコ、ロナウジーニョ、ネイマール

アルゼンチン代表

ケンペス、マラドーナ、メッシ

フランス代表

プラティニ、ジダン、ムバッペ

イタリア代表

バッジオ、デルピエロ、トッティ

日本代表

名波、中村俊、香川

タイプは違いますが、みんな攻撃的な選手で、パスも出せて、ボールを持てて、点も取れる選手たちですね!
皆さんにとって、背番号10といえばどの選手印象に残っていますか?

さてここまでサッカーのエースナンバー10について紹介してきましたがいかがでしたでしょうか!
ペレ選手の影響が大きいですね!
いつかペレ選手を超えるような選手が「10番」以外の番号を背中に背負って圧倒的な活躍をした時は、もしかしたら新たなエースナンバーが生まれるのかもしれませんね!

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